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ホーム 山中漆器の歴史
山中漆器の歴史・歴史は古く安土桃山時代からと言われています

日本の挽き物は何時、何処から始まったのか?

  • 滋賀県神崎郡永源寺町君ヶ畑には、文徳天皇(平安時代前期・850年~858年在位。今から1150年程前)の第一皇子である惟喬(これたか)親王の言い伝えがあります。

  • 村社大皇器地祖神社の縁起に、「惟喬親王は文徳天皇の第一皇子で、儲弐位(ちょじい)に位し、四品を授けられたが、仏門に入り給うた。貞観17年(875年。今から1,120年余り前)摂津水無瀬宮を出て、白馬に乗り東近江路に向い給い、深山に分け入って小松畠に居を定め給う。村の名を君ヶ畑と改めた。」とあります。

    ( 儲弐 世継ぎ。皇太子 )

なぜ惟喬親王は出家したのか?

  • 惟喬親王は、平安京の文徳天皇の次代を巡って、重臣藤原良房と文徳天皇の寵愛を受けた女官(更衣)紀 静子の兄紀 有常や親戚に当たる在原家達の権力争いになりました。暗殺されそうになり、京の都から洛外に逃れて出家、仏門に入らざるをえなかったということです。

  • 蔵皇山金竜寺も君ヶ畑にあり、小椋庄の領民を支配し、轆轤師(木地師,塗師,杓子を含めて言う)に諸役御免の免許状を押印した鑑札を与えていた。金竜寺には親王の木像が安置されています。

  • 筒井八幡神社の縁起には、「親王は愛知の深山に分け入り、杣人(そまびと)に会い筒井山に住みつかれた。そこは大木が多く、土地の人に木を割り器物の製法を教え給うた。これにより轆轤を作る法が世に広まり、日本全国の轆轤師の租祖と仰ぎ貞観7年11月この社を建立す。」となっています。

  • 平安時代の初期に、上記の惟喬親王によって滋賀県君ヶ畑に移入されたと考えられる木地挽き轆轤の技術は、良木を求めて山伝いに中国、四国、九州、福井、長野、福島、山形、秋田へと伝承されています。

  • 安土桃山時代始めの天正年間(今から430年程前)、越前朝倉家の山入免許状を手に入れて越美国境(福井県境)地帯山間に居住していた轆轤師の若者が、加越国境(石川県境)の山中町大聖寺川20km上流の真砂(まなご)部落に移住。木地屋小屋を建てて住み着いたということです。そして戦国騒乱から江戸へと移り行く時流の中で次第に発展していきました。これが山中漆の木地師の始まりです。

  • 木地師(轆轤師)達は杓子、椀、盆などの日用品を製作。下流の山中温泉との交流が深まるにつれ、湯桶など旅館からの注文を挽き、江戸時代中頃(正徳1711~。今から280年程前)には、温泉客の注文でみやげ物用の椀,盆などを製作するようになっていました。燭台や茶托もみやげ物として作られていました。

木地

  • 江戸時代は轆轤挽きの技術も進歩。弘化年間(1844年。今から160年程前)に蓑屋平兵衛が轆轤目筋入り(糸目挽)の器を創作。山中千筋漆器の創始である。平兵衛は木地挽きの天才でした。

  • 挽き物の技術は高められ、薄挽きの名工も出ています。轆轤機械の改造も行われて、轆轤技術は山中漆器の得意分野として発展していきます。

  • 山中漆器の木地は輪切りにした木を使う「縦木取り」です。歪みや狂いが少なく棗、茶筒、椀などに適しています。

  • 山中漆器の木地は、「縦木取り」といって、立ち木を輪切りにしていった状態で切ったものです。切り口は、年輪が円形に表われます。導管が切断面に出るため、塗料を沢山吸い込みます。


  • 初期の山中漆器は摺漆が主でした。江戸時代(宝暦年間1751年。今から250年前)には栗色塗が開発され、次いで朱溜塗が製造されました。各種の色漆塗も製作されるようになります。(天保6年~。1835年。今から167年前)

蒔絵

  • 天保6年(1835年)、会津の蒔絵師由蔵が山中温泉に湯治に寄り、会津蒔絵が伝えられました。金沢の蒔絵師からは高蒔絵が伝えられました。

  • 江戸時代は、京都を始め全国から名工が招かれてより高度な技術が積極的に取り入れられ、多くの工人が生まれました。轆轤技術の上に塗・蒔絵の技術が磨かれて今日の山中漆器の基礎が作られた時代です。